【連載記事】熊野古道500kmの旅 第1章:熊野参詣道の概要

はじめに

この連載記事は2021年に行った熊野古道500kmの旅を主題にしています。連載記事は下記7つの章で構成され、本記事は第1章「熊野参詣道の概要」です。

  • 第1章:熊野参詣道の概要
  • 第2章:以前に行った熊野古道の旅
  • 第3章:旅の概要
  • 第4章:旅で印象に残った出来事
  • 第5章:コミュニタスの概要
  • 第6章:旅で感じたコミュニタス
  • 第7章:巡礼を体験する観光地でコミュニタスを感じることの意義

第1章:熊野参詣道の概要

本章は下記3つの節に沿って熊野参詣道を概説しています。

  • 熊野参詣道の地理
  • 熊野参詣道の歴史
  • 熊野参詣道の現在

熊野参詣道の地理

熊野参詣道は大阪府、奈良県、和歌山県、三重県にまたがる巡礼の道であり、和歌山県にある下記3つの神社を目的地としています。

  1. 熊野本宮大社
  2. 熊野那智大社
  3. 熊野速玉大社

これらの神社は一般的に「熊野三山」と総称されます。

そして、熊野参詣道は下記5つのルートに分けることができます。

  1. 紀伊路
  2. 小辺路
  3. 中辺路
  4. 大辺路
  5. 伊勢路

熊野参詣道の大阪府区間は、それぞれの標高が数メートルから数十メートルに及ぶ上町台地、信太山台地、泉南台地の上を主に通ります。残り区間の大部分は、紀伊山地でほぼ構成されている紀伊半島に広がっています。

また、紀伊半島の大部分とこれら3つの台地は、明瞭な四季を持つ温帯気候に属しています。

熊野参詣道の歴史

熊野三山への巡礼は熊野詣と呼ばれており、およそ1000年の歴史があります。まず、11世紀から13世紀にかけて、熊野詣は主に、皇族や貴族の方々によって行われていました(小山 2000, pp.24–56)。通常、彼ら彼女らによる熊野詣の大まかな行程は、次のとおりです。

  1. 古都の京都から出発し、大阪の旧港であった渡辺津まで淀川を舟で下る。
  2. 渡辺津から熊野三山まで紀伊路、そして次に中辺路を主に徒歩で辿る。
  3. 熊野三山を巡った後、京都に帰る。

1〜3を合わせて移動にかかった日数はおよそ1ヶ月と言われています。

次に、13世紀には、地方の武士にも熊野詣が広まり、さらに15世紀には庶民に広まりました(小山 2000, p.59, pp.70–71)。この大衆化によって、小辺路や大辺路も熊野詣で利用されるようになったと言われています(高木 2014, pp.61–63)。また、15世紀以降、下記2つの巡礼が庶民の間で人気になっていました。

  1. 伊勢参宮
    • 三重県にある神社の伊勢神宮へ参詣すること
  2. 西国巡礼
    • 和歌山県、大阪府、兵庫県、京都府、奈良県、滋賀県、岐阜県に点在する33ヶ所の寺院を巡ること

当時、これらの巡礼は併せて行われることが多く、その際の行程は、伊勢路を利用して熊野三山を巡ることを含んでいました(小山 2000, pp.179–180)。

しかし、19世紀後半以降、熊野詣は全く行われなくなりました。1872年に日本政府は、山岳修行を特徴とした、日本の宗教である修験道を廃止しました。熊野詣の巡礼者、特に紀伊路と中辺路をたどる巡礼者の多くは、儀式の指導や道中の案内を行う修験者を同行させていました(小山 2000, pp.84–89)。そのため、修験道を廃止したことは次の2点を意味しました。

  • 修験者を強制的に還俗させたこと
  • 修験者同行の下で熊野詣ができなくなったこと

また、日本政府は1906年に、全国の荒廃した小規模な神社を統合するよう通達しました。この通達において統合の対象となった神社には、紀伊路と中辺路に多く点在していた「王子」と呼ばれる神社が含まれていました。王子には熊野三山の神様の御子神を祀っており、修験者が同行する熊野詣の際は、奉幣や経供養などの儀式を王子で行っていました(小山 2000, pp.94–101)。しかし、その王子のほぼ全てが、日本政府による通達がきっかけとなり取り壊されました(田中 2021, pp.50–51)。その一方で熊野三山は、神社としての格式が高いことを理由に、統合の対象にならなかったため、熊野三山への参詣自体は引き続き可能ではありました。とはいえ、鉄道や道路などの交通インフラの発達によって熊野参詣道がほぼ使用されなくなった1970年頃までには、熊野参詣道を歩くことを主な移動手段として熊野三山へ参詣することが、もはや一般的ではなくなります(篠原 2001, pp.9–14;寺田 2014, pp.13–14)。

熊野参詣道の現在

しかし、1970年代後半以降、熊野参詣道の一部は熊野詣の史跡として再注目を集めています。1978年、日本政府は、日本の歴史や文化において重要な古道等を「歴史の道」として整備する事業を正式に開始しました。最初に指定された「歴史の道」には、熊野参詣道として中辺路の一部区間が含まれていました。また、2000年には中辺路が熊野参詣道として国指定史跡になります。その2年後、伊勢路、小辺路、大辺路が、同じく熊野参詣道として、その史跡に追加されました。さらに、熊野参詣道の一部区間が、国連のユネスコによって保存に値すると認められ、2004年にユネスコ世界文化遺産「紀伊山地の霊場と巡礼道」の構成資産に登録されました。近年では、各制度における熊野参詣道に対して、新たな区間が追加されています(表1)。熊野参詣道の保存に向けた取り組みは現在も継続されているのです。

表1:歴史の道、国指定史跡、世界遺産における熊野参詣道の近年の追加

制度追加された年追加された区間
歴史の道2018地蔵平見道、千里の浜など
国指定史跡2026女鬼峠道、石仏庵など
世界遺産2016長尾坂、闘鶏神社など

注:表の作成は下記の資料を参考にしました。
  文化庁(2018)、三重県(2025)、和歌山県教育委員会(発行年不明)

とはいえ、熊野参詣道は現在、巡礼では使われていません。現に、熊野詣に存在していた下記3つの仕来りは行われていません。

  • 主な移動手段を徒歩とすること
  • 修験者の同行
  • 王子での儀式

熊野参詣道は現在「熊野古道」と親しまれる形で、往時の巡礼を体験する観光地として広く知られています。一般的に熊野古道の観光者は、紀伊山地を通る道を歩き、そのような道は中辺路、小辺路、伊勢路に多くあります。例えば中辺路でよく歩かれるのは下記3つの区間です。

  1. 大門坂 〜 熊野那智大社(3km)
  2. 熊野那智大社 〜 熊野本宮大社(31km)
  3. 滝尻王子 〜 熊野本宮大社(38km)

1つ目の区間は半日、2つ目と3つ目の区間は1泊2日で歩くのが標準的です。これらの区間は、熊野古道のガイドブック(例:Davis, 2019, pp. 21–23; Towle, 2019, pp. 180–181)でも、おすすめコースの一部として紹介されています。

引用文献一覧

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